(1)
私たちの体内に 毎日生まれているガン細胞。
それらを抑えるのは 自己免疫力といわれています。
免疫力が勝っているから ガン細胞は大きくならずにいます。
医学が発達した現代でも がんという病には
とても不吉な 重い悲しい怖いイメージがあるようです。
実際、がん患者は増加の一途を辿っています。
私が 「二度 がんになってね・・・」
と話すと、相手の驚きのリアクションに こちらが驚くほどですf^_^;
なぜ、がんだけが こんなに怖れられるのでしょうか?
ひとつには
転移、再発を繰り返し、体内でどんどん増殖して
他の細胞をも滅亡させる悪性細胞・・というイメージが強いようです。
あとは、
がんを恐れるばかりに 気持ちが向いてしまって
自分のがんの状態を知ろうとしないこと。
対象が何であれ、
相手を知らずして つきあうことも、闘うこともできません。
確かに
がんは 侮ってはならない大変な病ですが、
むやみに怖がることもないと思います。
怖い気持ちは 私も体験したのでわかります。
がんの可能性・・・というだけでも 結果が出るまで
本当に落ち着かないものです。
でも、怖いと思っている相手を客観的に知ることで
得体の知れない恐怖・・・とは別のつきあい方ができます。
これは、対象が がん細胞に限らず・・・
怖がらないで頑張れ!・・・ということでは決してなく、
今の自分の感情に向き合うこと
今の自分のがん細胞の状態を知ること
そして、対策を講じることが とても大事なのです。
(2)
(1)で
「がん細胞を むやみに恐れないで、客観的に知ること」 と書きました。
恐れの感情に支配されているうちは 「がん化した細胞が自分の体内にある」ということを冷静に受けとめられないからです。
そして 相手を正しく見ることが難しくなってしまうのです。
怖れるばかりで よくわからないものとは つきあうこともできません。
恐れがあるときは その恐れの感情から目を逸らさないで、
他の一時的な楽しいことなどで 気持ちを逸らしたりもしないで
「自分の内なる恐れ」 をよく凝視してみると 少しずつ正体が見えてきます。
凝視・・・とっても勇気の要ることなんですけどね。
こわい・・・・・という気持ちは どこから来るのでしょうか?
なぜ、がんが怖いのでしょうか?
何かを失うことになるようで 怖いのですか?
その何か・・・とは何でしょう?
人によって その理由はさまざまです。
あらわれてきた理由によって 自分が今、何を大切にして生きているのか?
が、だんだん見えてくると思います。
この「恐れの感情」 に向き合うだけで
自分自身にとっての余分な価値観、常識枠、思い込み・・・に気がついて
生きることそのものが 非常にシンプルになっていきます。
恐れの感情から逃げずに 蓋をしないで
がんをこわいと感じている自分に正直に向き合うことで
次のステップ=「なぜ、がんになったのか?」に進めます。
こんなことを書いているのは
恐れの感情から散々逃げていた私だから・・・です。
私の場合、逃げるというよりも 恐怖を感じている余裕がなかった・・・
というのが近いかも。
1回目は 「がんを治す」という気持ちでいっぱいでしたから。
2回目は 「がんになった意味、本当の原因」を探すことでいっぱいでした。
恐れの感情を抑圧していることにさえ、気づかなかったんですから。
だから、1,2回目は こわくありませんでした。
なんと、3回目に ガンの可能性と診断された時点で
はじめて恐怖と向き合い、恐怖感に浸り、恐怖を手放すことができました。
長かったです!
(3)
治療法で 家族の反対意見があるときなど、
治療以外のところで揉めてしまい
自分が闘っている相手が一体何なのか、わからなくなってくることがあります。
(もっとも 誰とも何とも闘う必要はないのですが・・・)
これは、本当によく受けるご相談です。
がん治療の選択は その人の人生観・・・のようなものが顕著に出るのです。
それほど、がんは 生死を考えさせられる病なんですね。
(ちなみに、お産の在り方や 子育てについても その人の人生観が強くあらわれますね。 ただ、がんの場合は緊急性が高いので 時間制限を意識して決めていくため、精神的に切迫します。)
もし、
自分の望む治療法と家族の意見が違っていたら
そのときこそ、
「自分の軸足の在り処」 があきらかになるときだと私は思います。
自分が 自分のために生きてきたのか
ふだん、見ないで済んでいることが あからさまに現れてくるからです。
「治療法は ご本人とご家族が話し合って納得する方法を選んでください」
と私は一貫して申し上げています。
(西洋医学、東洋医学問わず)
そして、お問い合わせを受けてカウンセリングしていくなかで
いろいろお話をうかがっていくうちに
「家族間での問題」「生育過程での問題」 に行き着くこと、そこに気づかれる方がとても多くいらっしゃいます。
(4)
「がん治療で 手術をはじめ、抗がん剤、放射線治療は拒否したい」
というお考えの方々から お問い合わせをいただきます。
西洋医学で 様々ながん治療をしたけれど再発してしまった。
あの副作用のつらさは もう二度と味わいたくない・・という方。
最初から西洋医学での治療に納得せず、他の治療法を希望する方。
または、病院の治療を受けながら 他にも代替療法を・・・という方。
では、何をしたら良いか?
代替療法の○○療法? △△療法?・・・と療法探しになっていきます。
西洋医学での治療を拒んだ方は 誰でも通る道ですね。
私自身も そうでした。
私は 最初から病院での治療を拒否したので
術前検査や
治療の副作用のつらさは経験していませんが
この時点でのお気持ち、焦り、不安・・・心理的な部分は、お察しします。
何をしたら良いのだろうか?・・・と探している今も
がん細胞は 体内で増殖しているのではないだろうか?
「代替療法で頑張ろう!」という前向きな気持ちと
「やはり、この代替療法でいいのだろうか?」という不安。
情報も気持ちも混乱します。
気持ちが どんどん外側のものを求めていこうとしますが・・・
治癒は
食、動、など「身体機能を整える条件」と「心の条件」が整ったときに
内部から起こります。
「心の条件」とは
ひとりの静かな時間を持つこと・・・から、はじまると 私は実感しています。
今でも、私が瞑想的な時間を大切にしているのは 生きるためです。
それから
自然界の一部である自分を感じる時間
深い意識で味わう静けさ・・・ ゼロになる瞬間だからです。
物心ついた頃からずっと 「何か」を求めていました。
20代の頃から 鎌倉に座禅に通ったり、瞑想をはじめたりしました。
情報社会を離れて、山のなかに籠もったりもしました。
結婚してからは そういうこととは遠くなってしまうなぁ・・・
と思っていましたが
私が求めていた「何か」は なんと普段の生活のなかにありました。
特に驚いたのは
妊娠、出産、育児という「命の営み」のなかに
私が求めていた ほとんど全ての答えがあったことです。
(5)
がんを客観視する
感情と向き合う
瞑想・・・
そういうことって、なかなかできません・・・と言われます。
(3)で書いたように
ひとりの静かな時間を持つことで 治癒システムの働きがよくなることを実感しています。
(これは研究されていて 本やデータもあります)
瞑想などによって、潜在意識の深いところまでおりていくと
自分にとって必要なもの、そうでないものの判別機能が冴えてきます。
自分の身体と対話していく力がついてきます。
意識が内側に向くからです。
私の場合は
病院での治療を自分の本能で放棄してしまい
もうギリギリの崖っぷち状態でしたので
自分の身体に聞いて判断するしかなかったのです。
しかし、こんな方法(病院を勝手に放棄するなど)は 誰にもおすすめしていません。
「治療法、病院選びについては ご本人とご家族が納得する方法で決めてください」
と、いつも申し上げています。
どんな治療を受けている場合でも
私がおすすめするのは 「ひとりの静かな時間を持つこと」です。
瞑想というと 難しくて取り組みにくいイメージを持たれるかもしれません。
瞑想には さまざまな方法があります。
私は最初 「超越瞑想」Transcendental Meditation という瞑想法から入りました。
が、いまは あまり形にこだわっていません。
「ひとりの静かな時間を持つこと」
まずは、それだけでいいのです。
特にお気に入りの瞑想法があれば もちろんそれでOKですし
気功をしながらでも 深い瞑想状態になります。
目を閉じてソファに座る・・・それだけでも。
雑念が次々と出てきても、「無」にならなくても、「気」を感じなくても
・・・それでもいいのです。
瞑想する・・・というよりも
瞑想状態になる・・・という無意識=潜在意識の働きが大切なんです。
意識しなくても、夢中で何かしているときに瞑想状態になったりしますね。
余談ですが
よく小さい子が夢中で何かに取り組んでいるときなど たぶん瞑想状態なのでしょうね。
内面の力が 豊かに育っているんだろうな?と思います。
モノを創ったり、絵を描いたりしている方など、そういうことはありませんか?
人には自然治癒力があって
本来在るべき姿に還ろうとするのを助けるスイッチ・・・
そのひとつが 「心の静寂」 です。
静寂 即治癒 というわけではありませんが、
私の場合は 心の静寂なしに自然治癒はあり得なかったと実感しています。
潜在意識で
「自分が治癒すること」を本当に許して
現実的にさまざまな努力をしたら 出てくる結果には
あまり執着しないほうがいいようです。
努力するだけのことはして
最後は「治す」という気持ちを手放すことです。
これは とても難しいと思います。
ただ、ある瞬間から ふっと
「治そう、治そう」という意識が薄れていくのを経験しました。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが
これだけの自然療法をして
今まで気づかずに暮らしていた大切なことに気がついた満足感もあり
もうあとは天にまかせよう・・・という気持ちになったら
「治るか治らないか、は私が決めることではない」
と、静かな気持ちになりました。
(6)
では、どうしたら がん細胞が育つのか?
なぜ、自分の体内で がん細胞を育ててしまったのか?
そこを 「心」の面から 追求していくことで
がんという病とつきあっていける大きなポイントが見えてきます。
何より
自分自身、生き方そのものを見直すチャンスになります。
がんになりやすい人の「心の傾向」って、あるのでしょうか?
私は 傾向としては、あるのではないか・・・と考えています。
たとえば・・・
・なんでも、引き受けてしまう (NOといえない)
・あまり、怒らない (怒っていても、それを表面に出さない)
・あまり、文句や人の悪口などを言わない
・わりと、役に立つ
・かなり、我慢強い
・一見、良い人風
・一応、常識的な感覚を持っている
・自己犠牲的なところがある
・他人から信頼されやすい
・真面目な性格、前向き、頑張り屋
まだまだ出てきそうですが、このへんで・・・
誤解しないでいただきたいのは
あてはまるからといって、すぐに がんに直結するわけではありません。
がんという病でなく、他の形であらわれることもあるようです。
こんな傾向がある、という参考として読んでください。
しかしながら、がんになる前、なった頃の私は、いくつも当てはまります。
だから、自分を振り返ってみると、いくつも出てくるんです。
いまは、これらのことを手放してしまったので
けっこう軽く生きてます ヾ(@^▽^@)ノ
こういうタイプの人って、実は けっこう苦しいんですよね。
その状況で そうせざるを得なかった・・・というのも、よくわかります。
もし、自覚しているならば、
「なぜ、自分はそうしてしまうのか?」
(・・・その思いは いつ、どこで身につけたものか?)
「どうしたら、これらのパターンから解放されるか?」
(・・・原因となる場面に戻って、そのときの自分を深く見る)
などに取り組んでみます。
自分自身の「心のパターン」に気づくのは 簡単なことではありません。
気づいたというだけでも かなり進んだ状態です。
気づき?理解?許し?認める?というプロセスを経て
心は解放されていきます。
心の解放は 心の治癒に結びつき
私の場合、それが 細胞の治癒に結びついたのです。
追記:
がんという病だけでなく 他のジャンルや人間関係にも通じるものと とらえて読んでいただけたら・・・と思っています。
また、がんに関する記事は 私の失敗経験から得たことです。
参考程度に、どうぞよろしく(^-^)/
長い記事を読んでくださって ありがとうございました。
アメーバブログ2010年記事を加筆訂正しました。
よかったら、ブログのテーマ「がんに関して」も お読みください。