目次
1度目のがんを克服してから・・・
1回目のガンを克服してから、2年後の1993年に男の子を授かりました。
「胎教」の先生にも お世話になって、
「胎児は本当に何でもわかっている」ことを実体験しました。
息子が誕生して この世で会えるのが 楽しみでもあり
産んでしまうのがもったいないくらいにも思えるほど 有意義で楽しい妊娠期間でした。
出産は、野口整体を続けて からだを整えていたおかげもあって、とても安産でした。
野口整体では
「女性は自然な経過を経た妊娠、出産を重ねるほど 美しく健康になれる」
と言われています。
それは、骨盤の開閉、調整と大きな関係があるからです。
妊娠も、出産も 自然界の摂理そのもので
特別なことではないと、あらためて実感しました。
その頃、娘のつながりで「シュタイナー教育」と出会い、子どもの教育だけでなく、
シュタイナー思想の勉強会に出るようになって、私が漠然と描いていたことが理論的に
体系づけられていることを知り、出会ったことがとてもうれしく、
とても興味深く、講演会を聴講したり、たくさんの本を読みました。
そのなかで、「魂の在り様」 という言葉に出会い、感激したものです。
また、子どもの 「歯の生え変わる時期」 が心身ともに とても大切な時期であることなど
知って、そのようにからだを見て 人生全体をとらえていくことが本当におもしろく て
学ぶことが楽しみでした。
人間論、転生論も、私のなかのモヤモヤした霧が晴れるように 納得できるものでした。
シュタイナーの説く 「4つの気質」 も、自分を知るうえにも、子育てにも とても参考になりました。
シュタイナーに出会ったのと同じ頃、近くに自然食研究会があることを知り、そこで
「自然食」を学びました。
ここで教えていただいたことは、料理法だけでなく、陰陽理論など 生活全般に活かせる
食を中心とした古来からの知恵で、今でも 私のなかで参考になっています。
(現在、私は厳密な玄米菜食でなく、さまざまなものを食事の中に取り入れています。
自然の恵みをいただくことで、それを自分の命にして 生かされることに対する感謝が
真の自然食だと受けとめています。)
野口整体で、私のからだがガチガチに固まっているのは自覚したけど
「なぜ、こうなったのか?」を知りたい。
先生は「気を使いすぎるからよ」と仰る。
自覚はないんだけど・・・
では、なぜ、私はそんなに気を使うの? なぜ?・・と探求は続きます。
私は、自分の心の奥をもっと深く見てみたくて、心の勉強をしたくて
「カウンセリング」 を学ぶようになりました。
ここで、私はとんでもない思い込みをして生きてきたのだとわかります。
自分の価値観を他人にも当てはめていたこと
それで、自分も苦しかったこと、
壁は自分が作っていたこと、を発見できました。
知らなかった自分が発見できるたびに、
謎が ひと皮ずつむけて核心が見えてくるようで、とても清々しい気持ちでした。
カウンセリングの勉強は6年続け、第3子を出産するまでの最後の3年間は、通信教育の
講師として、たくさんの受講生のレポートによって、また価値観が広がり私自身が育てられました。
ガンを告知された1991年から 長男誕生を経て、次男が誕生する2000年までは、
野口整体、シュタイナー、自然食、カウンセリングを 同時進行で学ぶ機会に恵まれました。
それらのことがバラバラでなく、
私のなかで統合されて ひとつながりになっていくことが本当に楽しく充実していました。
第3子の出産・・・
2000年、第3子がやってきたことを感じ、検診を受けた病院で
「おめでたですね」 と同時に言われたのが、
「子宮頸部にポリープがあります。
良性か悪性か、採って検査しないとわかりませんが、今いじることはやめましょう。
その刺激で流産する恐れもありますから。出産後に必ず検査してください」
という診断でした。
ショックではありましたが、
ポリープのことは、あまり深刻に考えてもしかたないことなので
とにかくお腹の赤ちゃんが気持ちよく育つように、
それだけを優先して過ごしました。
妊娠中は 丹精こめて育てる過程でいろいろなことが起きてくるのが
毎日楽しみでしかたありませんでした。
赤ちゃんからのメッセージを受け取るのは、からだの声を聴くのと同じです。
心を静かにして待っていると、あるとき、ふっと聴こえてくるのです。
これは 瞑想の習慣によって得られたものかと思いますが
妊婦さんには ぜひ体験していただきたいと思います。
2000年秋の早朝、次男は 飛び出してきた!という感じで生まれました。
家族に歓迎された ほんとうに、感動的なお産でした。
このときの助産院の助産師さんが 部屋でアロマテラピーをしてくださった心地よさは忘れられません。
「出産は快感だ!」 と感じ入りました。
こんなに自然にすんなりと
この世におりてきた次男を 祝福と羨望の気持ちで迎え入れ、
私も こんなに自然にすんなりと、あの世に戻っていきたい! と思いました。
圧倒的な生命力。
真の「生」に立ち会った瞬間、私の内に「死」が浮かんだのです。
「生と死」 は、まさにひとつのサイクルだと、体験によってわかった瞬間でもあります。
2度目のガン告知・・
さて、次男出産後の、ポリープの検査。
実家近くの病院で、事情を話して診てもらったところ
「ポリープ? ありませんよ」
「え?」
もう一度、詳しく話すと
「ごくまれに、出産時に赤ちゃんと一緒にポリープが取れて出てしまうことがあるんですよ」
私は 驚きましたが、何だか納得できるような説明でした。
そのとき、医師に
「じゃあ、ガン検診を一緒にしておきましょうか?」
と言われて、検査した結果が 「×」 だったのです。
10年ぶりに、検査に引っかかったのでした。
しかも、細胞診の段階で すでに10年前よりも 悪い数値で。
限りなくガンに近い数値・・・
まさか・・・
2度目のガン・・・?
生まれたばかりの次男・・・
私は 腕のなかで眠る次男の顔を見ながら自問しました。
「今の私にとって 一番の望みは何だろう?」
「この子を私が育てること。 私は生きていたい!」
それが、心からの答えでした。
今回の診断を受けて 10年前よりは
自分に対して 少し素直になっていたので
不安な自分を認めることができました。
不安ではあるけれど、
「また 何かに出会える」
という確信にも似た思いがわいてくるのを 私は抑えることができませんでした。
私は、10年前にガンを手術なしで自然療法によって治癒したことで
得たものの尊さを身にしみていました。
そして、そのときの出会いに 心底感謝していました。
私は、ガンで失ったものは何もありません。
そして、得たもの、出会ったものは 本当に計り知れないのです。
これは、自信を持って言えます。
「今回は何に出会うの? 何に気づくの? 今回のガンの意味は何?」
私は、問いました。
病院に呼び出され
「すぐに、県立がんセンターにいってください」 と紹介状を渡されました。
私は、1回目のガンのときのやりとりを思い出し
がんセンターには もう辟易していたので、結局行かずに
受け取った紹介状は 破り捨ててしまいました。
あの病院は、私のような患者が行くところではないのです。
これから何をしたらよいか、わからないなかで それだけは明確でした。
(がんセンターは、高い検査技術、設備、経験豊かな医師が揃っています。
私の望む治療ではないということで、
決して悪い病院という意味ではありません。念のため)
「がんになったことの意味」を探して・・
ただ、今回はなぜか、前ほど闘争心に燃えてはいませんでした。
「ガンと闘う」 よりも、
「今回のガンの意味」 を探していたので、気持ちがそちらにいっていたからです。
「意味」さえわかったら、治療は納得できる病院を探して、
納得できる方法であれば、西洋医学のお世話になってもいいか・・とも思えました。
「私は、確実に生きたい!生きて、この手で子どもを育てたい!」
と思ったからです。
カウンセリングの仲間に話したら
「ウチの近くで、ヒーリングをやってるところがあるのよ」と、教えてくれたとき
「これかもしれない!」と ピン!ときました。
「ヒーリング」によって
私は、真の意味で 自分自身の魂を解放することにつながっていきます。
アメリカのBBSH(バーバラ・・ブレナン・ヒーリング゙・スクール)で学ぶヒーラーは、
7つのチャクラの状態を調べてからヒーリング゙に入ります。
生命あるものは
すべてオーラ、チャクラ、エネルギーでやりとりしていることなども教わりました。
ヒーリングを受けはじめて半年ほどして、再検査をしたら やはり前ガン異型細胞状態。
でも 以前より数値は下がっていました。
「このままでは いつ、ガンに移行するかわからない。
まぁ爆弾を抱えているようなもんですからね。
この状態でも子宮摘出を希望する患者さんが多いんですが、どうします?」
「もう少し、様子をみたいのですが・・」
「では、必ず検査にいらしてください」
と、経過観察を しぶしぶ承知してくれました。
ヒーラーに
「ガン検査の数値が下がっていました!」 と報告してお礼を言うと
「まぁ、(検査は)細胞レベルのことですからね・・・」
と、たいしたことではないように、あっさりしていて私はちょっと驚きました。
今では 私も、封じ込めた自己を解放することの素晴らしさを思うと
からだの細胞レベルの数値などに 一喜一憂しなくても・・・という気がします。
押し込めていた感情に気づくこと・・・
ヒーリングを受けているあいだに、
今まで長い間 押し込めていたさまざまな感情がからだを通して表現してきました。
それこそ、カウンセリングでも出てこなかった感情。
自分を認めない私。
自分を許さない私。
自分をまるごと愛していない私。
私は、こんなにも手放さなければならない不要なものが自分のなかにあったことに驚きました。
それらは、健康診断では調べることのできないものばかりでした。
幼少期のマイナスな思い込み。
自信をなくすような経験を必要以上に引きずっていること。
そのために自分にかけている不必要なブレーキ。
自分の存在価値を低く見積もっていることなど・・・
数値にあらわれるはずがありません。
しかし、数値にあらわれないマイナスなものこそ、
人間に備わっている治ろうとする力=自然治癒力の働きをどれほど妨害していることでしょう!
自分自身を 心から大切な、かけがえのない存在だと受け入れ、
認めることができたら、
同じ治療法でも結果には大きな差が出てくることは間違いありません。
そして、真に自分を認め愛することは 同時に他者を認め愛することにつながるのです。
2度目のガン退縮・・・正常値に
それから半年後の子宮頸ガンの検査結果は
結局 「正常値」 に戻っていました。
それは嬉しいことで、私は とりあえず、ほっとしました。
とりあえず、というと変かもしれませんが
「ガン細胞の問題が一応終わったので、これから本題に入れる」
と思ったのです。
「本題」とは、「ガンからのメッセージをつかむ」ことです。
問題に取り組むのは、これからだ という気の引き締まる思いでした。
でも、2回目のガンが治って、私なりにいろいろ探してみても、
まだ 本当に納得できる 「私がガンになった意味」 は見つかりませんでした。
私は どうしても、それをつかみたかったのです。
ガンで死ぬことよりも、
その意味をつかまずに死ぬことのほうが 悔やまれるだろう。
だから、今は絶対に死ねない!と強く思いました。
体験記4へ続きます