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代替療法を探して・・・
今でこそ、代替療法ガイドブックや、東洋医学系の医院がありますが、
この頃(1990年代)は
「病気は病院、薬で治すもの」「ガンは切るもの」というのが、常識でした。
(ずいぶん予防医学が発達したし、ホリスティックな診療所が増えてきて嬉しく思っています)
ですから、数少ない情報のなかで、ガンを切らずに治す方法を探し求めました。
まだ、パソコンも一般家庭には普及していなかったので
ただでさえ少ない自然療法を探すのは 友人知人、本が頼りでした。
私全体が良くなれば、ガンも形を変えていくに違いない!と確信していました。
そして、からだ全体が良くなることで、今まで溜め込んだ不要なものが排出されれば
私の人間性・・というか
人間としての資質、魂も向上するだろう・・・と、
こんなことまで考えていました。
ここまでは あまり人には言わなかったけど、本気でそう思ったし、
「きっと、そうだ!」と思うことで
モチベーションを 高くキープしていられたからです。
この頃、最初に友人の紹介で 「野口整体」 を知りました。
野口整体は 創始者野口晴哉氏による 心と体を統合して診ていく世界です。
また、「断食」をしました。
断食といっても、娘を育てながら自宅でしているので半断食ですが、
空腹感のなかで3日目か4日目に、不思議な体験をしました。
まず、空腹感が強くなればなるほど、「なつかしさ」が込み上げてきます。
「断食ハイ」になっていたのかもしれませんが
「あぁ、この感じ・・・私、もう知ってる」 と思いました。
断食中に起きた不思議な体験・・・
そして、家の2階のベランダに出たとき、向かいの家の大きな庭が目に入りました。
いつもの風景です。
スズメの鳴き声が聞こえました。
私が住んでいる所は 野鳥が多いのでヒヨドリの姿も見えます。
これも、いつもながらのことです。
快晴のなか、5月の風が吹いていました。
空を見上げて 「あぁ、いい気持ち・・・」 と思った瞬間、
グワァ~ン!・・・ちょっと形容し難いのですが、
とてつもなく大きな大きなあたたかいものに包まれたのを感じました。
一瞬だったのか、数秒だったのか、わからないけれど からだが浮いたような
自分がなくなったような感覚。
包まれたときの心地よさといったら・・・・
私は、あの庭の木と同じ、あのスズメと同じ、空と同じ、何も隔てるものはない!
すべてが 私と つながっている!
「しあわせ」なんていう言葉では、言い切れないほどの「至福感」
いや、それ以上!
いまだに 表現できる言葉が見つかりません。
そして、理由もなく
涙があとからあとから止まりませんでした。
「いったい、どうしたんだろう・・・」と しばらく呆然としていました。
何が起こったのか理解できず、
ただ、自分が別の生き物に変わってしまったのでは・・・?
と本気で思い、鏡を見にいきました。
それは 時空を超えた 本当に貴重な経験でした。
このとき、私という存在が宇宙の一部であり、
また宇宙そのものであるということが
理屈抜きに わかりました。
この素晴らしい出来事は、
その後の 私の人生の軸になりました。
この軸を中心に据えて、私は 今も生かされております。
野口整体には 秋まで通い続けて、
自分のからだのなかの「気」の動きを感じられるようになってきました。
それから、7,8月には
「砂療法」 で排毒をして「酵素」や「温野菜スープ」を飲んだり
「ビワの葉温灸」をしたり、自分なりに合うものを探して取り入れました。
24歳から習慣にしている「瞑想法」(Transcendental Meditation) も続けました。
この頃は、瞑想することで自分を保っていられた感もあります。
自然療法の好転反応も出て、身体はスッキリして、なかなか良い状態でした。
この調子なら治るだろうと思っていたのです。
それでも ガンの進行を知らされて・・・
様々な自然療法で 自分では とてもからだが軽くなってきたように感じ
8月に別の病院で再び検査しました。
しかし、再び異常値が出て、結局 県立がんセンターにまわされました。
この頃は 一番落ち込みました。
自分の気持ちを頑張りモードにキープしていること、
周囲に 私の気持ちとガンへの取り組み方を説得することに もう疲れてしまい
おまけに、検査結果は 0期から1期と 前より悪くなっていました。
「あんなに一生懸命やったのに、どうして治らないんだろう?」
「やっぱり、ガンって、そう簡単には治らないんだなぁ・・・」
と、私の気持ちはどんどん下がっていきました。
思い切り泣けたらどんなに楽かなぁ・・・と思ったのを、よく覚えています。
このときの私は 泣くことさえ、自分に許していなかったのです。
許すとか、許さないとか、そんなことは全く考えていませんでした。
とにかく、「ガンを治す」ことで頭がいっぱいでしたから。
(そして、その 「自分を許さない気持ち」 が、
私の体内にガン細胞をつくった一因であると、ずっとあとになって わかるときがきたのですが →体験その3)
あきらめる気持ちの後に・・・
私はガンを自分で治そうとすることの難しさを認めました。
「絶対に自分で治す」という握りしめていた信念を手放しました。
諦める気持ちが大きくなる一方で、張り詰めていた気持ちが緩んだのか
「今の私はガンだけど、けっこう幸せじゃん!」 と思えるようになりました。
だって、子宮ガンということ以外には、何も足りないものがないんだもの。
私自身、痛みや不快な症状はないし、
家族もいるし、皆、健康だし、経済的、物質的にも困る状態ではないし。
何よりも、告知されてから一日一日、
「生きてる!」って意識しながら生きてきました。
朝、目が覚めると 「私、生きてる!」って、思うのです。
今まで、こんなにも
「生きている」ということに感謝した経験はありませんでした。
「生きている」のは、いままで当たり前だったから。
ガンをきっかけに、ずいぶん、今までとは違う世界と出会えたし。
それに、あの5月の 不思議な幸せな至福体験ができたし。
私は、あとどれくらい生きるのか わからないけど、死の直前に この人生を振り返ったら
きっと告知された今年の5月から今までの私の人生は キラキラ輝いているだろうな
・・・という気がしました。
私は もう、やるだけのことは やり尽くした、と思いました。
あとは天に任せよう・・・
そう思うと、ますます穏やかな幸せな気持ちになっていきました。
絶望的な気持ちから 「平安」が訪れたのです。
がむしゃらな頑張りモードから受け入れモードになりました。
これが9月から10月にかけての変化です。
そして、自分に対して
「もういいよ。いままで、よく頑張ったね」 と心のなかで声をかけました。
私は はじめて自分をいたわったのです。
そして
「自分に対して こんなに優しい気持ちになったのは はじめてだなぁ
いままで、なんて厳しかったんだろう。」
と、気づき、少し驚きました。
このとき、からだのなかで 鎖が解けたような感覚がありました。
ガンがからだから出ていく時・・・
子宮がんにも関わらず、生理は順調にあって生理痛はありません。
それが、10月の生理のときに、いつになく腰が重くなりました。
「ガンが進行しているから?」と不安になりました。が、そうではありませんでした。
驚いたことに 生理の経血のなかに黒い血の塊がありました。
卵くらいの大きさの塊で、あれを出すために腰が重かったのだと確信しました。
お産の前に腰が重くなったのと、同じからだの感覚だったから。
子宮ガンが自然治癒した人の手記に異口同音に
「生理で血の塊が出て治った」と
あったのを読んでいたので、
「これが最後の検査」 というつもりで検査にいきました。
「ガン細胞は認められません。」
私は、病院を出てすぐに、家族やお世話になった先生方、友人に電話しました。
私は ガン告知以来、はじめて思い切り泣きました。
誰に、何を、どう、話したのか このときの会話を全く覚えていないのに
この時の空が 抜けるように真っ青だったこと、
そして いちょうの葉が輝くような黄金色だったことだけは
今でも目を閉じると 鮮やかに思い出されるのです。
ガンを治してくれた自然界の力が 空といちょうの色を使って 私に
「おめでとう!」
と祝福のメッセージを くださったように感じられ
私は
再び時空を超えて、あふれるほどの「感謝」に包まれていました。